「貴族」

『善悪の彼岸』を読み終えたので「貴族」について。

ニーチェの著書でよく出てくる「貴族」とか「高貴さ」について、『善悪の彼岸』でも触れられている。そこにはだいたい「無私」や「厳格さ」が重要であることが述べられていて、意外と普通の道徳に近い。

でもたぶん、「誇り」を守るためにはこの「厳格さ」が必要で、そのためには「無私」を徹底する必要があるのだ。たとえば、誰も見ていない、車も通っていない、見晴らしのいい交差点で信号を守るような、そういう、状況にかかわらず自分の決めたルールを守る行為。

そもそも一般的にルールを守るのは自分のためだ。刑務所の外の自由とか、社会から得る利益とかを逃さないために、責任を持つ。信頼を得る。だからこそ状況が変われば行動も変わる。状況にかかわらず自分の決めたルールを守るのはこの「利益を得るための行動」とは一線を画している。

もしかしたらルールは何でもいいのかもしれない。ルールを決めて、それを厳格に守ること。自分を状況に合わせるのでなく、状況を自分に合わせるために?「支配する」ために?