謙虚さ

教養って謙虚さのことなのかもしれない。

「自分のまだ知らない世界がある」と意識する点でこのふたつは似てる。あるいは、謙虚さを支える土台のひとつかも。

「もう自分の知らないことはない」というのが傲慢さで、教養が過ぎると傲慢さになるのは面白い。そう考えるとやっぱり教養は謙虚さと傲慢さを支えるひとつの要素と考えても・・。

 

最近は嫌いな上司のせいでちょっと傲慢すぎる。

自然と謙虚でいられて、それでも上昇意識をくじかれないような環境は貴重で、どうしたら作り出せるのかわからない。環境を無視して個人でこの意識を持ち続けるのは難しいだろうし。

「水素水に効果がある」と思う世界と「水素水に効果がない」と思う世界、どっちも受け入れて初めて教養と呼べるんじゃないか。両方知った上で「選ぶ」ことができればそれは豊かなことなんだ。