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快楽と苦痛を生む”構造”について

なんやかんやと考えていたんだけど、ブログに全部書き写すのがめんどくさくなって結論だけ上げておくことにした。

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快楽を得る条件をまとめて「問題を解決すること」を仮定した。「問題」の定義は「変えたいと思っていること」、「解決」は「思い通りに変わること」だ。

生きるってのは「死」から遠ざかることであって、食べなかったり、寝なかったり、敵から逃げなかったりすると死ぬ。それを避けるためにこういう、問題が残っていれば苦痛が、問題を解決すれば快楽が得られる構造になってる。もちろん「死」以外の問題にも同じ構造が適用される。

腹が減ったのを食事で解決する、汗や寒さによる不快感を風呂に入ることで解決する、麻薬の禁断症状を麻薬によって解決する、できなかったことを試行錯誤してできるようにする、これらはいずれも達成感や多幸感などの快楽を得られる。

 

でも、こう考えると、快楽を求めることは問題を、ひいては苦痛を増やすことに繋がるんじゃないか。問題がなければ快楽も得られないのだから。それに問題を増やしたからといって次もその問題が解決できて、快楽を得られるとは限らない。苦痛のところで止まってしまうかもしれない。

特に「死」のような、解決できない問題とか。これはもう解決できないので、捨てるしかない。じゃあもう全部捨てよう、が仏教。変えたいと思わなかったら変えたいと思っていることもなくなる。ちょうどこの構造も輪っかになってるし、結局はこれが輪廻から抜けだすってことなのかも。

個人的には問題を増やしたぶんだけ解決して、解決できない問題だけうまく切り分けることができないかと思ってる。苦痛を減らして、快楽を増やす。問題を見なくなっても問題がなくなるわけじゃないし、やっぱり快楽は甘い蜜だ。