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塩の量を変えてパンの生地を作ってみた。

ベースの材料は以下の通り。
  
左が塩なし、右が塩あり。
 
作ってすぐの生地の温度は17度だった。
ぬるま湯とかで温度調整して25度くらいにする説もあるけど冷水で適当に。
 

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1時間後、室温は11度でかなり寒い。
どちらも重力に負けて広がっているだけ。

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4時間後、もう12時なので室温は15度まで上がった。
作ってすぐよりは滑らかになっているが、まだ膨らんではいない。
 

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6時間、室温はそれほど変わらず。
だいぶ膨らんできたけど、あんまり差はない。
 

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8時間後、室温は18度になった。
 
塩の入ってない方が少し大きく膨らんでるけど、捏ねの誤差ってだけ?
ただ、蓋を開けてみると塩の入ってない方が発酵臭は強かったので、実際に発酵は早いのかも。
 

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焼いたら大差なかった。
ちなみに塩の入ってない方にも焼くとき塩を加えたら、溶けてなくてザラザラしたり味にムラができた。中種法で作るときは100%より70%の方が何かと楽そう。塩パンみたいにあとで粗塩載せて味付けするのもいいだろうけど。
 

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スコーンの油脂の量を変えて焼いてみた。

ベースのレシピは以下の通り。
 
  • 薄力粉 …… 100g
  • ベーキングパウダー …… 5g
  • 砂糖 …… 10g
  • バター …… 0g、50g
  • 牛乳 …… 40g
 
左がバター0%、右がバター50%で、どちらも200度の12分で焼いた。
 
まず見た目には膨らみと色が違う。
左の方は混ぜる時から水分が足りてない感じで、焼きあがっても粉っぽい。
左の方は砂糖や水分が多いときと同じくかなりべちゃっとした生地になった。
 

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近くで見ても大きさの違いははっきりしてるけど、これは分量がそもそも違うというのもあると思う。
食べて見ると左の方はあまり膨らんでいないせいか、みっしり詰まってて重たいけど、右の方はふっくらとしていて口の中の水分を吸われる感じがない。
 

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スコーンの砂糖の量を変えて焼いてみた。

ベースのレシピは以下の通り。
  • 薄力粉 …… 100g
  • ベーキングパウダー …… 5g
  • 砂糖 …… 30g、0g
  • バター …… 20g
  • 牛乳 …… 60g (40gの予定だったのに入れすぎた)
 
左が砂糖30%、右が砂糖0%で、どちらも200度の12分で焼いた。
左の方は打ち粉をしないとまとまらなかったので打ち粉をしてある。全体と水分の比率から考えると左の方が水分の割合は少ないはずなのに、材料を混ぜた時点で左の方がべたっとしていたし、焼くとさらに広がってしまった。
右の方は前回の牛乳が多い方とさほど変わりはないが、まぁ、味は小麦粉って感じ。
 

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火の通り方も違ったようで、左の方は天板に接している裏側が焦げてしまい、表側の焼き色も濃くなってる。
そのせいか、左の方がザクザクした硬い食感になった。ただ、この辺りは形が揃わなかったせいもあるかもしれない。
 

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スコーンの水分量を変えて焼いてみた。

スコーンの水分量を変えて焼いてみた。
ベースのレシピは以下の通り。
  • 薄力粉 ...... 100g
  • ベーキングパウダー ...... 5g
  • 砂糖 ...... 10g
  • バター ...... 20g
  • 牛乳 ...... 40g、70g
 
左が牛乳40%、右が牛乳70%で、どちらも200度の12分で焼いた。
右の方は打ち粉をしないとまとまらなかったので、最後にヘラでざっと丸めてから粉を振ってまとめた。
 
まず見た目にも違いがあるし、左の方が硬くて、表面の硬い層も厚くなってる。
膨らみ方にも違いがあって、右の方がまんべんなく全体が広がってるのに対し、左の方は直接的な部分が残ってる。
焼いている間も左の方がすぐ膨らみ始めたけど、最終的には右の方が大きくなった。
 

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近くで見ると右の方がすべすべしてる。
水分が多いせいで生地の伸びが良くなってるのかも。
 

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英語と日本語、主体と客体の話

英語では必ず主体が客体より前に来る。
しかし、日本語であれば「母が私の髪を切った」でも「母に私の髪を切られた」でも語順は同じ。接続詞だけで主体と客体が入れ替わる。
英語であれば「母が私の髪を切った」と「私の髪が母に切られた」の語順でしか文章が成立しないので、接続詞でなく語順を含めた文章の構成を変えなければならない。

この違いが日本人の英語学習を妨げていることも考えられる。わざわざ語順を入れ替えるということに慣れていないのだ。
ということは、逆に語順はそのままで能動態と受動態を入れ替えた方が日本人には自然に扱えるのかもしれない。「私の髪が母に切られた」は「母が私の髪を切った」に変える。意味を伝えるだけならわざわざ受動態を維持する必要はないし、主体と客体を入れ替えて能動態にすればいい。

教育

制限は常に自らの力によってのみ課すべきだ。

自分でその制限を解錠できるように、鍵を渡してやらなければならない。他人の力で抑えこんではならない。

なにかを「育てる」のは、それが「強くなる」ことであり、それは「選べるようになる」ことでもある。制限することではない。

支配や介入による教育の問題点は、それが邪魔になって動きが制限されることだ。動きを邪魔しないように支援することしか許されない。

「貴族」

『善悪の彼岸』を読み終えたので「貴族」について。

ニーチェの著書でよく出てくる「貴族」とか「高貴さ」について、『善悪の彼岸』でも触れられている。そこにはだいたい「無私」や「厳格さ」が重要であることが述べられていて、意外と普通の道徳に近い。

でもたぶん、「誇り」を守るためにはこの「厳格さ」が必要で、そのためには「無私」を徹底する必要があるのだ。たとえば、誰も見ていない、車も通っていない、見晴らしのいい交差点で信号を守るような、そういう、状況にかかわらず自分の決めたルールを守る行為。

そもそも一般的にルールを守るのは自分のためだ。刑務所の外の自由とか、社会から得る利益とかを逃さないために、責任を持つ。信頼を得る。だからこそ状況が変われば行動も変わる。状況にかかわらず自分の決めたルールを守るのはこの「利益を得るための行動」とは一線を画している。

もしかしたらルールは何でもいいのかもしれない。ルールを決めて、それを厳格に守ること。自分を状況に合わせるのでなく、状況を自分に合わせるために?「支配する」ために?